天童市 名所旧跡巡り
御苦楽園 御苦楽園は、昭和の初期の不況下に、水戸部弥作氏が失業対策事業を兼ねて造られたもので、 数十人から数百人の人夫を雇い、完成まで8年を要したといわれています。全国各地から銘石・銘木を 集め、その石を磨いたのは主に女子で、中には妊婦もいたとのことです。妊婦には「二人で働いて いるのだから」といって、2倍の給料を払ったと伝えられています。 石には、古今の格言・金言が刻まれております。この庭園を人生の苦しみと楽しみを盛った庭として 「御苦楽園」と名づけられました。 |
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旧村山郡役所 明治12年に建築された洋風の建物で、昭和33年の 郡制廃止時までは、東村山郡役所として、その後は 天童市役所、現在は東村山の資料館として親しまれて います。 |
各知学舎 各知学舎は、明治2年に儒学者で浄土真宗の僧侶でもあった本沢竹雲によって開塾され、 西洋文化を徹底的に排し、神、儒、仏中心の教育が行われました。村山地方の地主の子弟が 多数入塾し、皆ちょんまげ姿で授業を受けていたとのことです。 庭園には、40本ほどのもみじが植えられており、秋ともなると見事な紅葉となり、名所になって います。 山形県の代表的な民謡「花笠音頭」で「花の山形もみじの天童」とうたわれているのも、 うなづけます。訪れたときは、アジサイや紫つゆ草などが咲き誇っていました。 |
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